昭和28年1月9日に開催された養老院長会議で、親睦と情報交換の場から組織だった活動を行う協会設立について協議が行われ、昭和28年7月16日、佐渡の待鶴荘で開催した養老院長会議で、県内の養老施設で組織する「新潟県養老事業協会」が発足。本会の前身となった。
当時の会員施設は、新潟救護院(大正12年開設の本県で初めての養老院、現在の松鶴荘)、水原養老院(現在は合併廃止)、三条養老院(現在の県央寮)、直江津老松寮(現在の五智養護老人ホーム)、長岡長養園(現在は合併廃止)、小千谷養老院(現在の小千谷市養護老人ホーム)、佐渡待鶴荘(現在の待鶴荘)の7施設であった。
昭和32年には救護施設かしわ荘が加入し、養老院の加入施設も増えたため、養老施設相互間の連絡と親和を図る目的から一歩前進して、養老・救護事業の振興を図り、その福祉を増進する組織へと規約を改正して「新潟養老救護事業協会」に組織替えを行った。
その後、昭和35年4月に養老救護施設の職員で構成する「新潟県養老救護事業職員研究会」が発足し、職員相互の親睦及び研究と研修を行ったが、昭和40年4月1日、県の指導により2つの会を発展的に解消し「新潟県救護福祉施設事業協会」として一本化された。
その後、昭和46年4月1日に県内の養護老人ホーム、特別養護老人ホームおよび軽費老人ホームのみで組織する「新潟県老人福祉施設事業協会」へと組織替えを行った。
事務局は、規約で会長の勤務する施設内に置くと定められていたため、昭和28年から37年まで新潟救護院(新潟養老院)、昭和37年から42年まで寺泊養老院(寺泊老人ホーム)、昭和42年から51年まで待鶴荘、昭和51年から62年までわらび園、昭和62年から平成元年3月まで松風園に置かれていた。
平成元年4月1日には規約を全面改正し、事務を新潟県社会福祉協議会に委託するとともに、老人福祉の増進と各施設相互の連携を密にして職員の資質向上を図り、本事業の健全な発展を期することを目的とする「新潟県老人福祉施設協議会」に変更した。
平成8年4月には事務委託を解消、新潟県老人福祉施設協議会に事務局を新たに設置して現在の形になった。